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2008年10月27日 (月)

耐熱訓練(鉱山保安センター)

耐熱訓練って聞くと、普通の人はどんな感じなのか想像もつかないだろう。
近頃は真夏日が多く、35度なんて当たり前になってきたが、真夏日にジョギングなんて軽やかなものではない。じゃあ、サウナに入って汗を流すような爽快なものでも決してない。似てると言えば、サウナの方で、但し、防火服を着装して、呼吸器を背負う格好で動き、這いずり回るみたいな感じを想像してもらいたい。実際現場では、強烈な熱風を浴びて耐え切れずに退避することも度々あるが、訓練では一応、耐えることができる温度と湿度で、動いているうちに耐えられなくように設定されている。全国には耐熱訓練が出来る施設(消防学校等)を整備している所が増えつつある。しかし、規模が小さく、十分に訓練できる本格的施設はあまりない。
昭和50年頃は、全国の消防で耐熱訓練が出来る施設はほとんど無く、解体する建物や鉱山跡地などで訓練を実施していたようだ。F市は近隣に鉱山保安センターという、鉱山救助の立派な専門施設があったので、死にたいほど恵まれていて、全職員喜んでcrying経験している。
海や山での訓練も死ぬほどキツイが、自分の体調が悪くない限り、意識が無くなるほどではない。しかし、鉱山保安の耐熱訓練は間違いなく隊員全員、意識が薄くなり、半分位は失神してしまうことを覚悟している。保安センターじゃなく不安センターなのである。なお、装備する呼吸器には空気と酸素があって、空気の方は呼吸量の制限はなく好きなように吸えるのに対し、酸素の方は一定の呼吸量しか吸えないので激しく動けない。当時の訓練では、もちろん長時間対応の酸素呼吸器で、激しく動けと命令されていた。
思い起こせば、救助隊になって数年後に実施された耐熱訓練は、壮絶極まりない訓練で、その時の指揮者は、F市歴代最凶の鬼といわれるS教官であった。
今日の朝はみんな黙りこくってお通夜のようである。弁当を作る気力も無く、注文で済ませた。
隊長も普通の訓練と違い。命令だけしとけばいい訳でなく、自分も入らないといけないので言葉が少ない。それに今日は指揮者がいけない。S鬼は隊長クラスにも厳しく、率先しない隊長を隊員以上に締め上げるからである。
バスはうなだれて鉱山不安センターに向かって行く。

鉱山保安センターは酒殿という、いかにも酔っ払いそうな地域にある。県道から田園風景が広がりだすと、なんとも異様な建物が現れてくる。それは煙突を組み立てたような建築物で、銀色に光輝き、かすかに白煙が漂っている。いかにも「かかってこい!」と言いたげな雰囲気で、大きな風車に挑むドンキホーテのようである。
この訓練棟は2階建てであり、1階横坑周囲が約80m有り、約20mの斜坑が2箇所、高さ約10mの立坑が2箇所あって、それぞれに繋がっている。
(一般の周回訓練の場合は、横坑を一周し、斜坑を2階へ上り、2階の横坑を渡って、次の斜坑を下る。1階の横坑を半周して、立坑に至り、立坑の梯子を登って、2階横坑を渡り、次の立坑の梯子を下る。後は1階横坑を半周し、外へ出る。)
当時のF市はこの訓練に相当力を入れていた。活動隊である限り、初任(新人)から現任までそれぞれ年1回は実施されていた。一般活動隊は午前中は座学で、午後から訓練という計画である。しかし、救助隊の場合は、一日中訓練なのである。
鉱山保安センターに到着したが、なぜかその日の雰囲気が違っていた。「人がやたら多い。」その日はTVカメラのクルーと医大のインターンが大勢押し寄せ、我らの訓練を見学し撮影するらしい。中には笑っている奴らもいてなんともウザイ!
俺たちは黙々と訓練準備(酸素呼吸器の清浄缶にカーライム充填など)をしていたが、S教官だけがうれしそうにTVや医大関係者と雑談している。とんでもない一日になりそうな予感がしてきた。

「集まれ!」と5隊40名に集合がかかり、準備体操が始まった。ラジオ体操的な消防体操を全員で行った後、「駆け足進め!」でランニングが開始される。「1、2・1、2」と呼称しながら走るのであるが、先頭がだんだん早くなるので、リズムが乱れ、ただ叫んでいるだけの奴もいる。鉱山保安センターから遠く離れて田んぼ道を30分位走り回り、戻ってきたと思ったらまた出て行く。そんなランニングがやっと終わると腕立て伏せを200回、かがみ跳躍というジャンプスクワットを200回と続いた。
時々、S教官が動きの悪い奴を見つけて、持っている拡声器でヘルメットがひん曲がるほど愛のムチが振るわれる。その時だけはなぜかみんな動きが早くなるのであった。
この時点で医大生達の顔はアポーン状態w(゚o゚)wで笑いは消えていた。言い忘れたが、当時の教官達は筋肉隆々で優男なんて一人もいない。特にS教官は今で言うと総合の秋山の体格に丸坊主で剃り込みが入った顔で、その筋の人が避けて通る風格であった。
思えば、F市は主訓練が大会種目だろうが救急だろうが、訓練と名のつくものは地獄のような準備体操はつきもので、他都市の方達はF市に来たがらないようである。
現在はそれほどでもないが、伝統は受け継いでもらいたい。
F市の考えは、地獄の準備体操で主訓練に影響が出ようが、基本的体力を強化すれば、あらゆる災害に対応できると信じている。特に大会種目のような現場は日常あまりないけど、階段を10階までフル装備で荷物もってダッシュとかは頻繁にあるからなのだ。

いよいよ坑内へ第1回目通過訓練(点灯)開始である。
坑内の温度は約50度で湿度は70%位である。サウナは温度100度とかあるが、湿度は低くカラっとしてるけど、坑内はジメーとして気持ちが悪い。入った途端、異常に汗が流れてきた。
毎年入坑しているが身体が馴染むまで時間がかかる。
円形の坑内は直径2m位あるが、屈んでウサギ歩きしなければ通れない場所もあって、全体的に圧迫感がある。薄明かりが坑内を照らし、何処に何があるか、歩数などで確認しながら先へ進む、「ここはこうしよう。」「ここでは注意しよう。」とか考え、次の訓練に活かすつもりで歩いている。全てのポイントを漏らさず通過訓練が終了し、鉄扉を開いた。小春日和の秋風が心地よい。地獄の穴から天国の扉を開いたように爽快である。
直ちに集合し、隊員の確認終了後、休憩に入る。この時点でヘルメットから編み上げ靴までびっしょり濡れて、肌寒い。急いでTシャツを着替えるが、次の訓練があるので、パンツまでは着替えられないから気持ちが悪い。
医大生の中には女子もいて、救助隊員の血管が浮き出た上半身裸を見て、嫌だったのか、嬉しかったのかは分からないが、唖然としていた事は間違いない。

2班に分かれているので、次の班が出てきたら第2回目の通過訓練(消灯)開始である。
坑内へ入ったが、真っ暗で何も見えない。(この施設は建物火災対策の耐熱施設と違い窓が一つも無く、密閉率が高い。)一応日光ライトは携帯しているが、部分的にしか見えないので足元がおぼつかない。隊員同士ロープで繋がっているから、はぐれる事は無いだろうが、前の隊員の背中を照らしながら進んでいく。前の隊員が突然しゃがんだのでほふく前進で進んでいく。一回目の確認事項とかはまったく当てにならない。ここまで暗いと方向さえ分からなくなり、登っているから斜坑だなとか分かる程度である。立坑の梯子を上り降りする時は命綱を外すので、手探りと五感が頼りである。横坑を周回して、何とか鉄扉を手探りで探し、脱出に成功した。ああ、なんて外の光がまぶしいことか。
一回目の訓練時間の2倍以上かかったので、身体の水分が出尽くし、作業服はずぶ濡れ状態である。
休憩中は水をがぶ飲みし、塩をなめる。
人間にとって水は命である。山登りで飲む水も旨いが、この訓練は本当に水の有難さを実感できる。

第3回目は本格的な救出訓練(消灯・防火服・酸素呼吸器・要救助者1名)である。坑内の温度・湿度は燃焼し続けているので徐々に上がっている。ロープ等の資器材も使用するので、一人20kg以上の重装備となる。特に酸素呼吸器を吸う時点で活動が極端に制限される。鉄扉が開かれ進入を開始した。要救助者(逃げ遅れ者・30㎏のダミー)は何処にいるかは分からない。検索棒と手足を使って検索もれが無いように低い姿勢でゆっくり進んでいく。横坑を20m位進んだが、この時点で脈拍は200近くまで達し、とても息苦しい。けれど、酸素呼吸器は深呼吸できないので、呼吸を一定に保つしか手段は無い。横坑を検索したがダミーは発見できない。「単純に横坑内にポンと置く訳は無い。」と思っていたが、思考が薄れて淡々と進んでいるだけである。思考で思い出したが、初任課の時の実験で、室外では、単純な計算式は簡単に解けるが、坑内ではなかなか解けず苦労した。
斜坑は二手に分かれて登っていく。聞こえるのは「シーハー、シーハー」と言う呼吸器から漏れる音だけが響いている。「斜坑にダミーはいるだろう。」と思っていたが発見できない。後は立坑周辺だけなので、立坑を重点的に検索するもここも発見できない。隊長が全員の命綱を引っ張って集合し、話し合おうとしたが、酸素呼吸器から漏れる息づかいが激しく、中には座り込む奴もいて、まとまらない。30分のタイムリミットまで後5分を切った。隊長は、斜坑の狭い箇所に向かって全員を引っ張りだした。再度、検索開始である。ふらふら状態でただ何となく動いていると、突然、坑内の明かりが点灯した。下から「脱出!」の合図が鳴り響いた。「なんて明るいんだ!」と素直に感じ、力が沸いてきた。横坑に降りると鉄扉の扉が開いて光が差し込んでいる。別世界に吸い込まれそうになりながら脱出した。
一番若い隊員は集まることも出来ず、出口の所で倒れている。S教官は医大生を呼んで、倒れた隊員を担架で、仮設テントに運んでいく。実験台第1号誕生って感じである。後で聞くと、ダミーは鉄扉の裏に隠してあり、入口付近にいたのだ。実災害でもよくある話しである。

最後の引揚救助(消灯・煙・防火服・酸素呼吸器・要救助者2名)が開始された。訓練前に水分と塩分は補給して意識は回復したが、身体は脱水状態で筋肉がピクピクつるのが分かる。今度は検索洩れがないように慎重に進んでいるとダミーを早い段階で発見できた。立坑にダミーを2体運んで、体力は限界を超えていた。立坑にロープなどの資器材を設定しているが、思考が極端に落ち、普段の3倍位時間がかかった。若手2人で引き揚げる。しかし、途中で何度もダミーが引っかかり、思うように挙がってこない。やっと引き揚げたが、全力を使い切り気持ちが悪くなって嘔吐し、胃液を吐いてしまった。一人隊員が倒れている。結局、隊長の支持で倒れた隊員を3名で運び、自分が一人でダミーを引きずり出すことになって、最後の力を振り絞り鉄扉の方向に向かう。やっと鉄扉に到着しノブを引くと「開かない。」
全員パニクってしまった。「そんな馬鹿な!」20m先の別の鉄扉に向かう。叩こうが蹴ろうが「開かない。」万事休すである。それから何分経ったのか知らないが、数十人が仮説テントで治療を受けている光景が見えて、意識が回復した。
ほとんど全員が医大生の研修に貢献したことは間違いない。
なお、S教官は温度、湿度を限界まで上昇させ、さらに出入口を全て外から閉じて、脱出時間を10分遅らせたことが判明した。
近年とちがう昔の話です。

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